音戸町の歴史

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〒737-1203 広島県呉市音戸町鰯浜1-2-3TEL:0823-50-0321FAX:0823-51-0357
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音戸の歴史と文化財案内図

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No.01 音戸大橋

 日本道路公団によって、昭和35年(1960)1月着工、昭和36年(1961)11月16日総延長1,184mの国内では唯一の、らせん形大橋として完成(竣工)する。12月3日開通式。総工費3億6千2百万円、延べ4万2千人。(普通乗用車120円、バス200円、自転車10円、人5円)。開通時、午前零時から午前5時までの深夜はフリーパス。昭和49年(1974)8月1日より無料。
 瀬戸に映える朱塗り(宮島の鳥居の朱色を基調とした)の大橋は、820有余年昔の平清盛公の瀬戸開削の偉業とともに有名。橋の長さ 172m、橋の幅員 6m、車道幅員 5m、 満潮時の桁下 23.5m、航路幅90m。
 つつじは4月下旬前後が見ごろ。

No.02 渡船場

 日本一短い定期航路。
 ここからは旧海軍工廠に働く町内の工員を渡船で運ぶ交通の要衝であった。この付近には太子岩と称する暗礁があって、渡船がこれに座礁したり転覆したりで魔の海と恐れられていたが、運輸省の開削で太子岩を削り取り今はその陰もなくなっている。
人のみは70円、自転車同伴90円

No.03 清盛塚

 音戸の瀬戸を切り開いたといわれる平清盛公が、人柱の代わりに一字一石の経石(一切経)を海底に沈め難工事を完成した〔長寛2年(1164)10月着工、永万元年(1165)7月16日完成〕。元暦元年(1184)その功徳をたたえ、その供養のために清盛塚を建立し、昭和26年(1951)に、県の文化財に指定される。
 周囲49.14m高さ5.46mの石垣に囲まれた清盛塚中央に、清盛公供養のために立てられた宝篋印塔(高さ1.98m)がある。また 境内の老松の葉が枯れ始めると「たこのゆがき汁」をかけると元通りの青々とした緑に戻るとか、歯痛で困った時には、この葉をかむと治るといわれる民話が残る。しかし、老松は枯れ、現在は三代目の松が根をおろしています。
 清盛塚参拝橋は昭和46年(1971)に完成。
 清盛塚前の石碑には「改築記念碑」と、裏面には大正十三年四月一日山下芳雪書とある。

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No.04 音戸の舟唄

 「船頭可哀いや、音戸の瀬戸で一丈五尺の櫓がしわる」と、唄われている音戸の舟唄の碑がある。
 この舟唄は日本の三大舟唄の一つといわれている。  (音戸町無形文化財)

No.05 法専寺

 毛利元就の末子、元為(後に出家して僧法専)が見張り役を兼ねて天台宗の寺を開き、天文23年(1554)真宗に改宗、さらにこの後、現在の浄土真宗本願寺派に改宗される。この寺には天正4年(1576)石山の合戦で毛利軍の船に幟を立て食料を運んだ際の幟に下げた錘が保存されている。
 石垣は「忍び返し」がついており、いざという時、城として使おうとしたのではないかといわれている。

No.06 桐の木古墳

 波多見小学校の丘の桐の木山の中腹にあり,昭和28年
(1953)に広島大学考古学教室が中心となって発掘され、その結果約1300年程前の箱型石棺であることがわかった。
 ここには、1号石棺(50才前後の男性)と、2号石棺(女性)があり、夫婦のものと推定されている。男性の胃の部分からは、炭のような米粒が発見されている。このことから、その当時すでに米作りが行われていたと推測することができる。

No.07 特攻基地の石碑と海軍工廠倉庫跡

 特攻基地大浦崎は、昭和17年(1942)旧海軍によって特殊潜航艇建造のために専門工場が建てられ、訓練も行われていた。ここでは、特攻兵器「蛟竜」や人間魚雷「回天」等が造られ、昭和20年(1945)8月終戦となり、基地が閉鎖された今では、県立水産試験場並びに大浦崎公園となっている。その当時の海軍工廠の倉庫が今でも残っている。

 

No.08 コンクリート船

 太平洋戦争中に鉄が不足したので、油や食料等の輸送船としてコンクリートで建造され、戦後は坪井に漁港としてこれを利用している。


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